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松平 忠栄(まつだいら ただなが)は、摂津尼崎藩の第6代藩主。尼崎藩桜井松平家9代。 == 生涯 == 文化元年(1804年)12月、第3代藩主・松平忠告の九男として生まれる。文政12年(1829年)に甥で第5代藩主の忠誨が死去したため、その養子となって家督を継いだ。天保8年(1837年)に大塩平八郎の乱が起こると、土井利位に従って鎮圧に貢献した。天保13年(1842年)には大砲7門を鋳造している。 嘉永6年(1853年)のペリー来航では、幕府に対して鎖国をあくまで堅持するよう提言している。翌年にロシア船が大坂に現れると、大坂の警備を務めた。なお、このような出費続きで藩財政が逼迫したため、鶏卵を専売している。文久元年(1861年)8月6日、病気を理由に家督を七男の忠興に譲って隠居する。明治2年(1869年)9月7日、尼崎で死去した。享年66。 著書に「胎蕨編」がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠栄 (尼崎藩主)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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